何故自分で事業を起こすのか。

今日の昼間、事務所に年下の友人が用事で来たので
ランチ方々、色々な話をした。
その中で「なぜ自分で事業を起こすのか?」という話が出たので
あまりそういうことを深く考えた事はなかったのだが、考えてみた。
そこで口を付いて出たのは「しょうがなく・・」という言葉。

でもこの言葉が一番等身大でしっくり来る。
ものの本で読みかじったのだが、世界各国の「起業する人の割合」のランキングで言うと、アフリカとかアジアとかそういう地域の国が圧倒的に高いらしい。
起業大国のような感じもするアメリカでさえ、そんなに上位じゃなかったと思う。

よく考えてみれば当然の話で、豊かではない国だから、国内にあまり産業が無く、雇用も少ないので、それぞれが自分の才覚で何かを売ったり、役務を提供したりして身を立てるしかないケースが多いから、必然的に「起業する人の割合」が高くなっているのだろう。

そう、自分の家の前に椅子を置いて、「カミキリマス」って言ってジャキジャキ髪を切って、ささやかな御代を頂戴したって、起業は起業だ。

起業の先進国であろうアメリカにあっても、起業する人の割合が先進国の中では特に高いのは、先進国の中にあって取り分け労働環境や、雇用の安定性が決して恵まれているわけではない事と無縁では内容に思う。

つまりわざわざリスクを取ってまで事業をやろうという人間は、どこか変わっているか(いい意味でも悪い意味でも)恵まれていないかのどちらかではないかと思う。そして僕は多分どこか変人だし、その上恵まれていないのだから、これはもう起業するしか道がない、つまり「しょうがない」んだとおもう。

もちろん恵まれていないといっても、生まれてこの方経済的に困窮した事も無ければ、学生時代にバイトをしたこともないような人間だ。今でも誇れるほどの収入は無いが、まぁ十人並みの収入はある。上司にこき使われる事もないし、誰かにとくに侮られる事もない。

他人と同じように考え、他人と同じように振舞えて、他人と同程度の扱われ方で満足で、真面目に、キチンと、淡々と生きていける、正しい大人に慣れていたなら、僕はきっと事業を起こそうなんて考えていなかったと思う。そしてそんな自分であったなら、どんなにいいだろうと本気で真面目に思うことがある。

でも、実際の僕はどこにいても、何をやっていても、こういうことじゃないんだ、ここじゃないんだ、という漠然たる不安がずーっと付きまとっていた。そしてこのまま何という事もなく人生がしぼんでいってしまう事が怖くて怖くてたまらなかった。もう34歳なのに。

Q:起業は楽しい?

A:イヤ楽しくないです。気苦労ばっかりです。お金があと幾らあるかばっかりが気になります。

Q:やりがいがある?

A:なくはないけど、全力で労力とリソースを突っ込んだものが全てキレイになくなっちまうリスクを横目でにらみながらやってますので、そもそも「やりがい」なんて意識もしてません。そんなものくそ食らえと思ってます。

Q:でもあたれば大きいでしょ?

A:でも大きくあたるのも考えものですよ。自分がそれに耐えうる器で無いと逆に苦労しそうだし。

Q:じゃあ何でやってるの??

A:えっ・・・あの、しょうがなく・・・・かな・・・

こんな僕ですが、一つだけもんのすごく自分の中で明確な事があって
今回これをやる。とにかくにっちもさっちも行かなくなるまで、バカになって足元だけ見てダッシュするって事以外に選択肢はないって事。
周りから見れば沢山あるように見えるかもしれないが、実際は何度やり直しても同じ結論に至るだろうなと思います。

そして、「楽しいか?」とか「やりがいがあるか?」等と考える必要も余裕もない境地というのは、案外精神衛生上良いもんだなという事。戦時中を振り返って「あの頃は張りがあって良かった」などという老人にごくまれにであう事があるが、そういう気持ちなのかもしれない。

まぁ、そんな僕がやっている事業ですが、事業の中身自体は結構皆様のお役に立てるものだと思いますので、サービスがリリースされた暁には是非一度ご利用下さいませ。