2007年を迎えて

皆さん新年明けましておめでとうございます。
なんだか静かで、お正月らしいお正月です。

さて、昨日は2006年を振り返りましたが(超個人的に)、2007年を迎えた今日は今年の抱負を少し。

最近自分が何者であるのか、って事についてよく考え、現時点での結論めいた事が見えてきています。
そのきっかけは、少し以前に、ある英語教育番組で、世界の色々な国の人が英会話について議論している場面を見た事でした。

すごくフランクでバラエティーチックな番組だったのですが、日本人が日本なまりの英語を恥ずかしがってあまり離そうとしない事について話題が向き、その中でインド人の非常に優秀な女性が、

「私は何で英語をアメリカ人や、イギリス人のように話さなければいけないと思うかが理解できない。私はインドなまりの英語をしゃべるけど、オリジナルでいいじゃない!」

とフツーにいっていた。

とかく僕を含めた多くの人は「オリジナル」と聞くと、相対的に見て「他と異なる」という事に軸足を置いて理解するが、彼女が言っている「オリジナル」はそういうことでなく、自分や自分の振る舞いがあくまでも自分のルーツや、保有するリソースから見て自分らしい(オリジナル)と感じられるのであれば、それの何に問題があるの?人と比べていたずらに自分を貶めるをやめたら?っていうような意味なんだと思う。

僕はその何の気なしに聞いた彼女の言葉が、ある種の啓示のように聞こえた。

自分のなんだかわからない経歴。
明るいのか暗いのか、社交的なのかヒトミシリなのか、聡明なのか大馬鹿なのか、イイ奴なのかイヤな奴なのかまったく自分でもわからないし、おそらく周りの人もつかみかねている性格。
これからも一層説明不可でまとまりが付かなくなりそうな将来。

全てはもっと、もっと「オリジナル」なになる、つまりはいやになるほど自分の本質通りに、もこもこと着込んでいるお仕着せの何かを、どんどんと脱いで裸になっていった結果としてそうなってきているわけで、オリジナルな自分であるという究極的な目的の為には、全てが肯定されるじゃないか!っていう風に捉えなおす事が出来たのだ。

オリジナルな自分が優秀なのか?、イイ奴なのか?、成功するのか?、他人に何かを与えるのか?そしてオリジナルである事はシアワセなのか?

そんな事はわからない。おそらく一生。
自分がシアワセなのか、成功しているのかは他人が決めてくれればいいと思う。

時々NHKの子供番組で流れる曲があって、僕がまさにここに書いているような事を1小節で表現しきっていて
不覚ながら目頭が熱くなる事がある。

猫が猫であるように、犬が犬であるように、全身全霊僕でありたい
*1

よく言われる「自分探し」とか「自分らしく」という空々しい言葉とはっきりと一線を画する覚悟が僕には感じられる。
自分自身として生きていく為に、多くのものをあとにする覚悟。諦める覚悟。
そしてそれ以外の選択肢が存在していないという現状認識を踏まえた上で、全力でその道にまい進すると決意する覚悟。

これまでも基本的にそういう覚悟を持って生きて行きたいと考えてここまで来たが
今年は、更に気持ち悪いくらいにオリジナルな自分になっていけるよう
厳しい覚悟をハラに収めて全身全霊で、「僕であろう」と思っています。

*1:-ハイポジ「僕でありたい」